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日記代わり

韓国映画「新感染」を見てきた話(感想文)

韓国映画 「新感染」を見てきた。

めちゃくちゃ面白かった。

以下、ネタバレを含む感想です。

(わたしは映画に詳しいわけでも、評論家になりたいわけでもなんでもないので、あくまで個人の感想だという点をご了承ください)

 

見終わったあと、まっさきに思ったのは「韓国映画は容赦がないなぁ」ということ。

町山智浩さんの解説によると、ソウルから感染が広がっていくのは、かつて北の方から北朝鮮に侵略されていったことを表現している、とのことだけど、忘れがちだけど韓国ってまだ戦争中の国なんだよね。北朝鮮とは休戦中なだけで、兵役もあるし。日常が一気に破壊されていく、という現象は彼らにとっては決してファンタジーではなく、日常と地続きの、すごくリアルなことなんだと思う。だから、日本で同じ設定で撮ろうとしても撮れない映画だなぁと思った。

ていうか、たぶん、日本で撮ったら主人公は死なないと思うんだよね。なんらかのかたちで生き返るとか、そういう救済があると思うんだけど、韓国映画ではどんな重要人物であっても死ぬときは死ぬ。ハッキリしてる。ラストで妊婦さんと子供が無事だったのは本当にほっとしたんだけど、最後の最後まで下手したらマジで全員死ぬラストかな?って思ったよね。そういう容赦のなさが韓国映画にはあると思うんだけど、これも結局、「みんないつ死ぬかわからないし、死ぬときは死ぬ」っていうリアルな感覚が国民一人一人に根深くあるからなんじゃないのかなぁ。

もしもこれが日本映画だったら父と子、セットで助かると思うんだよね。でも韓国映画の場合は「親は死んだ。でも子供は生きる」という徹底的なリアリズムをぶつけてくるよね。希望の尺(しゃく)がリアル。父子で生き残ったら希望の尺が大きすぎて「そんなわけねぇじゃん!」ってなる。半分だけ生き残るのが、ちょうどいい希望の尺なんだろうな。

冒頭で消毒液をかけられた車の運転手が、「何も心配ないですよ」みたいに言う消毒係の役人?みたいなひとに対して「口蹄疫のときもそう言ってた!お前らの言うことなんか信じない」みたいに言うんだけど、国家に対する不信感というものも、日本のそれとは大きく違う気がした。途中、ソウルがゾンビで完全にヤバいことになってるのに「国民の安全は確保されています」って発表する政府の会見のシーンはゾンビより怖い。アウトな状況なのに「安全です」と淡々とした口調でアナウンスし続けるのは、セウォル号事件のことも象徴しているような気がするんだけど、どうなんだろう。

この映画では、子供、妊婦さん、そしてホームレスのひとが出てくるんだけど、このホームレスのひとがいつまでたっても死なないでずっとついてくるのは、この3人が「弱者」の象徴だからなんだと思う。電車の中は「社会」、そして「社会」で何かトラブルが起きると、真っ先に虐げられるのは「弱者」。この「弱者」に対する乗客ひとりひとりの行動が、どんなものであれ、みんな「社会」で見られる現象なんだよね。そして、弱者を踏みつけてまで自分が有利に立とうとする姿は醜いということが、この映画で監督が最も伝えたいことなんじゃないかと思った。逆に、弱者を守ろうとする姿は美しいんだけど、醜かろうが美しかろうが、死ぬときは死ぬ、っていう。そこが韓国映画

電車の中でパニックが起こったあと、多くのひとたちが「弱者」には目もくれない中で、そういうひとにもちゃんと手を差し伸べたのは同じ「弱者」と、あとは高校生、つまり「未熟」なひとたち。地位もお金も確保している「立派な者」ではなく、社会的には取るに足らない、価値の低いものたちだとみなされた存在が実はもっとも優れたものたちであるという演出は、最終的にはもっとも弱い存在である子供と赤ん坊(実際は妊婦だけど、本当に表現したかったのは「これから生まれる赤子」なんだと思う)だけが生き延びた、という点も含めて、聖書の教えを連想させるものだと思った。

「だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。」
(マタイの福音書18:4)

「あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。」
(マタイの福音書18:10)

 

セウォル号事件でも、最後まで乗客を救おうとしてたのは、たしかまだ入社して間もない若い女性乗組員だったんだよねえ。彼女は亡くなってしまい、最後までお互いを励まし続けた高校生たちも亡くなり、真っ先に逃げ出した船長や利益を優先して安全対策を何も取っていなかった船会社の社員は生き延びた。と、どうしても、この映画を見るとあの事件が思い出されてしまうな。日本にとっての2011年の大震災と、韓国にとってのセウォル号事件って、ひとびとの心に深く刻み込まれて大きな影響を与えたという意味で、似たような立ち位置だと思っているんだけど。

話を映画に戻すと、

この映画のすごいところは小さい伏線もラストに向かって全部回収していくところで、しかも、そのひとつひとつに大きな意味があるんだよね。パニックの根源がコン・ユが操作(ズル)して救済した企業だったのも、「利益優先で突っ走ると大事なものを失うよ」っていう社会へのメッセージだと思うし、生き延びようと必死だったバス会社のエライおじさんが他人を陥れてまで生きようとした理由は「お母さんが待ってるから」。これは、コン・ユの子供と同じ動機なんだよね。これがわかった瞬間、このおじさんは、見ているお客さんにとって、すごく身近な存在になってしまう。だって、誰もが大事なひとが待っていたら、会いに行きたいじゃん。生きて会いたい、って思うじゃん。つまり、「あのおじさんは、わたしかもしれないんだ」って急に突きつけられるんだよね。それまで「なんだアイツ!しねばいいのに!」ぐらいに思ってたのに。ここはちょっと、鳥肌がたった。同じ動機を持っているのに、置かれた状況によってまったく違う行動に出たコン・ユ側と、おじさんとの対比は、善と悪、どっちに転んでもおかしくない状況で、「自分だったら、どっちに行っていたかな?」って、考えさせられる演出だと思った。

あー、本当にすごい映画だな。死と隣り合わせの日常、いつひっくり返ってもおかしくない平和、国家に対する不信感、社会に対する不満、そんな中でも「善いもの」でありたいという、韓国という国が抱える叫びのようなものが凝縮された、それでいて娯楽として100%楽しめる、本当にすごい映画だと思う。

最後に、コン・ユってやっぱりカッコいいんだなぁって思った。俳優さんはその美しさでもって、世のひとびとを癒しているのだなぁ。素晴らしい映画を作り上げる監督さんも、見目麗しいルックスで楽しませてくれる俳優さんも、まちがいなくこの世の「善いもの」だと思う。

 

映画はもっぱらAmazon Primeで見ています。

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