映画「パディントン2」感想(ネタバレあり)〜CGがすごいのは「モフモフ感」だけじゃない
パディントン2を見にいってきました。
前作も見ていないし、空き時間に軽い気持ちで映画館に入ったのですが、最後の方は泣いてしまって自分でもびっくりしました。
子供むけのストーリーなので大きな裏切りやどんでん返しはありません。二足歩行の熊が喋る世界観なのに、犬は犬のままだったりします。「なんでだよ!」と、突っ込んでしまうところも多々ありました。でも、前半の何気ない伏線を回収していく展開や、何よりもCGを使って表現されたパディントンの「心の中」の描写が本当に素晴らしい作品で、見終わったあとも余韻に浸ってしまいました。
以下、ネタバレありの感想です。
色彩豊かなイギリスの街並み
パディントンが暮らす街では、いろんな人種のひとたちが暮らしています。白人、黒人はもちろん、インド系のひとがいるのがイギリスっぽいなと思いました。ちなみにアンティーク店の店主も、字幕版で見ると実はめちゃくちゃ訛っています。 これだけ多様な人種を出演させているのには、監督の明確な意図がうかがえます。
パディントンは他国からロンドンにやってきた「移民」なのですが、彼が「クマ」であることで受ける偏見や悪意(とはいってもカリーさんぐらいしか、そういうことはしてないんだけど)は、現実の世界で移民が受けている差別を表現してるという映画評論を読みましたが、たしかにそうなんだろうなと思いました。
パディントンがいる頃は住民はみんな仲良くほのぼの暮らしているんですが、パディントンが刑務所に入れられてしまい、いなくなったあとは街の雰囲気ががらっと変わってしまうんですよね。みんないらいらしてる。これも、「移民がいなくなった街=不寛容な世界」を表しているのかなと思いました。不寛容な世界ではみんな、自分が優先で、いらいらしている、という。
パディントンがいた頃の住民は、みんな助け合って、関わりを持って暮らしているんですよ。でも、パディントンがいなくなると、まるで歯車が一個かけてしまったかのように、今までと同じ暮らしができなくなるんですよね。まるで、「この世界に要らないひとはひとりもいない」と言っているかのように。
でも、パディントンを助けることができるかもしれない!とわかったとき、住民は再び、一致団結します。パディントンに直接手を貸すひともいれば、エンジンがかからないブラウン一家の車を押してあげるひともいます。
「助け合うこと」がひとびとに笑顔をもたらし、幸福をもたらす。これは、全編を通してこの映画が伝えたいメッセージなのではないかと思いました。
ヒュー・グラントの素晴らしさ
この映画では悪役を演じたヒュー・グラントの熱演が話題ですが、たしかにめちゃくちゃイキイキしてました。落ちぶれた俳優という設定で、隠された財宝を手に入れるため様々な変装をしてロンドン中を飛び回るのですが、「その変装、いる?」というシーンも正直ありました。でも、なんだかんだ楽しいし見てしまうんですよね。そもそも二足歩行のクマが喋ったり、裁判をうけて刑務所に入れられてしまう世界観なので、細かいことは気にならないというか「まあ、いいか」で流せる映画です(褒めてる)。
「昔は売れっ子だったけど、最近はドッグフードのCMしか仕事がない」という設定なのですが、映画のなかに出てくるドッグフードのCMでまさかの犬役をやらされているのは声を出して笑いました。この役はいわゆる「当て書き」で、ヒュー・グラントをモデルに書かれているらしいのですが、脚本家めちゃくちゃセンスと悪意がありますね。
CGがすごいのは「モフモフ感」だけじゃない
わたしがこの映画でもっとも衝撃をうけたのが、クライマックスで汽車に閉じ込められたパディントンがそのまま汽車ごと川に沈んじゃって、それをブラウン夫人が潜って助けにいくシーンです。
ブラウン夫人がパディントンを助け出そうと鍵のかかった扉と悪銭苦闘するんですけど、隙間はできたもののパディントンが抜け出せるほどの隙間ではない。水中で自らも息を止めながら必死にパディントンを救おうとするブラウン夫人を、パディントンは最初すがるように見つめているんですけど、ある瞬間に、すっと引くんですよ。諦めたような表情をするんですね。ていうか、諦めたような表情をCGが見事に描ききっていて、「このままだとあなたも危ない。もうぼくのことはいいから、行っていいよ」というような、パディントンの心情がちゃんと伝わってくるんです。これはすごいなと思いました。自己犠牲が尊いから感動した、というわけではなく、クマでありながら誰よりも真っ当に生きようとしている姿に人間であるわたしは心打たれてしまったわけです。思わず泣いてしまいました。そこまでの衝撃を与える表現が、人間の演技ではなく、セリフに頼るでもなく、CGでできるということは、本当に驚きでした。
(ちなみにこのあと助かって、ベッドの上で目を覚ましたパディントンがまっさきに口にするのは「おばさんの誕生日プレゼント」のことなんですよね。そのためにこんな目にあったのに、ここにきてまだ他のひと(クマ)の心配するの、、、と、ここでも泣いてしまいました。)
もうひとつ印象的だったシーンは、刑務所にいるパディントンがジャングルにいるルーシーおばさんと再会する幻を見るシーンです。最初、何が起こったのかよくわからなかったのですが、途中から「ああ、これは彼の願望なんだ。叶わない夢なんだ」と気がつきました。突拍子もなく始まるこの「妄想シーン」ですが、パディントンがルーシーおばさんにどれだけ会いたいか、彼がどんなに哀しく寂しい思いをしているのか、とてもよく伝わってくるシーンになっていたと思います。
もちろん、CGで表現されるパディントンのモフモフ感も最高です。ただ、外見という「外」のものだけでなく、通常は見えない「中」の部分、つまり感情表現をCGというツールで見事に成し遂げている作品だと思いました。
いろいろな教訓
この映画が発しているメッセージはいくつかあって、わかりやすいものだと「親切にすれば周りが応えてくれる」だと思うんですが、わたしが個人的に受け取ったメッセージのひとつは「他人の言葉に惑わされてはいけない」です。
刑務所のなかにいるパディントンは、最初はブラウン一家のことを信じていたのに、「きみのことは忘れてしまうよ」「面会にも来なくなるよ」という周りのことばを受け入れてしまい(ブラウン一家はあんなに必死に頑張っていたのに)、ナックルズからの脱獄の誘いにのってしまいます。あんなに信じていた「ブラウン一家」よりも「他人の言葉」を信じてしまったのです。しかも、「脱獄して無実を証明しよう」とナックルズたちは言っていたのに、脱獄したあと「あれは嘘。海外に逃げよう」と言ってきます。純粋なパディントンは騙されてしまったのです。
わたしたちも日常において他人の一言に揺さぶられてしまうことがあると思います。そのせいで、信じていたものが信じられなくなったり、悪い方向に進んでしまうこともあります。でも、他人は色々言うだけ言って、自分の人生に責任を持ってくれるわけではないんですよね。不安なときや困難なときほど、他人の言葉に惑わされずに自分の心を守らないといけないのだと思います。
ちなみに、全編を通して「親切にすれば周りが応えてくれる」を実践してきたパディントンですが、蒔いてきた種が大きく花開いた瞬間があのラストのルーシーおばさんとの再会のシーンだったと思います。彼の行為が周りを変えて、優しい世界が生まれました。現実世界では、いくら親切にしたところで仇でしか返してくれないひともいるし、「誰にでも良いところがある」と探す気にすらなれないひとと会うこともしょっちゅうあります。そんな世界でパディントンのように、常に自分よりも他者の利益を優先し、隣人を愛し、生きていくことはとても難しいでしょう。こう書いていたら、パディントンがイエス・キリストのようにも思えてきました。イエス様もパディントンも無実の罪で裁かれてるし。パディントン、マジ神。
とまあ、冗談はさておき、子供向けファンタジーというラッピングはされているものの、訴えかけてくるものは非常に重厚で、排他的な雰囲気が強まっている(おもに西洋の)世界への強いメッセージを含んだ作品だと思いました。クマのパディントンを移民として表現している時点で、まあ、そうでしょうね、という感じなんだけど。
よくよく考えてみると、パディントンってルーシーおばさんと血が繋がっていないんですよね。命を助けてくれて、育ててくれたのがルーシーおばさんだった。そして、パディントンとルーシーおばさんは、家族になった。
この映画の後編では、ブラウン夫人がパディントンの命を助けてくれました(厳密に言うとナックルズとかもいたけど、自分の命をかけてまで助けようとしたのはブラウン夫人)。これは、ブラウン一家とパディントンはもはや家族である、ということを言っているのではないかと思いました。
血の繋がりがなくても家族になれる。これもやはり、血筋や国籍を重視し、それを基準に他者を裁くことが横行している現代世界に対するメッセージのような気がします。
さて、いろいろ書いてきましたが、最後に、わたしが劇場で思わずつっこんでしまったポイントを挙げて、終わりたいと思います。みんなもつっこんだよね?わかるよね?この思い、伝われ〜!
以上〜〜!
映画はもっぱらAmazon Primeで見ています。
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