Me の感想

日記代わり

ヤベェ奴はなぜ「ヤベェ奴」になるのかーーー街中で突然見知らぬ男性から卑猥な言葉をかけられたので考えてみた

ある日の夜のこと。

友人とわたしは、仕事終わりに繁華街で夕ご飯を食べ、駅に向かっていました。

 

時刻は23時を過ぎていましたが、年末ということもあって町は酔っ払いで溢れ、あちらこちらで大声や笑い声が飛び交っていました。

寒さに震えながら足早に歩いていると、突然酔っ払い集団からふら~っと抜け出した若い男性が近寄ってきて、ニヤニヤと笑いながら「こんにちは~」と声をかけてきました。

その時点で何かめんどくさそうな予感がしたわたしは、反射的に「大丈夫です(否定的な意味での)」と言おうとしました。普段、キャッチや勧誘が寄ってきた際にはいつもそうやって即答しているのです。しかし、その男性が発した言葉は予想の斜め上をいくものでした。

「(※女性器の隠語)見せてもらっていいっすか?」

それを耳で聞いて脳が理解する前に「大丈夫です」とあしらってさっさとその場を離れたのですが、その直後にものすごい恐怖におそわれました。

背後で「あ、大丈夫ですか~」という男性の声が聞こえました。

周りにはたくさんひとがいたし、繁華街なので道も明るかったので、まさかそんな状況で突然そんなことを言われるなんて、夢にも思いませんでした。

率直にいうと、めちゃくちゃ怖かった。

こういうことを書くと「大げさな」とか「ちょっと声かけられただけで…」とか、いわゆる女性の性的被害に対して「減るもんじゃなし」的価値観を掲げる一定数のひとたちからディスが飛んできそうだけど、こういう出来事の何が怖いかって、直接的な被害のことではないんですよ。痴漢にも同じことが言えるんだけど、

「ほかのひとの目がある」

「相手は知らないひとである」

という、通常ならどんなに強い性的な衝動に対してでも「ストッパー」になり得る要因が、一切その役割を果たしていない人間が目の前にいることが怖いんですよ。

自分の家に突然知らないひとが土足で入ってきて、テレビのスクリーンを素手でベタベタ触りだしたら怖くないですか?それと同じようなことなんですよ。自分の領域に許可なく入ってきて好き勝手する奴は誰かどう見てもヤバいし、そんな奴、何をするかわからないですよね。ヤバさのレベルが10段階にわかれていて、「人ごみの中で包丁を振り回し、通り魔事件をおこす」がレベル10だとしたら、「(※女性器の隠語)見せてもらっていいっすか?」といきなり知らない女性に話しかける」はレベル2かもしれないけど、問題はレベルの程度ではなくて、この二つの行為が同じベクトル上にあるってことなんですよ。

というわけで、久々にヤベェ奴と遭遇してしまった年末でしたが、この一件のあと、ふとした疑問が浮かびました。

 

ヤベェ奴が「ヤベェ奴」になる原因は何なのだろう?

シンプルに、「なんでそんなふうになっちゃうんだろうな」と思ったんですよね。だって、普通、身の回りにそんなにヤベェ奴っていないじゃないですか。でも、生きているとたま~にぶち当たっちゃうんですよね。ヤベェ奴に。ヤベェ奴案件。ヤベェ奴被害。そんな、ヤベェ奴被害の極端な例が、いわゆる「面識ナシ系」の犯罪だと思うんですけど。

正直、以前は「こんなにたくさんの人間が生まれてくるのだから、やはり、一定数でバグが生じるのかもしれない」と思ったこともあるのですが、最近はそうではなく、やはりなにかしらの「原因」があるのではないかと思うようになりました。

ひとが、「ヤベェ奴」になる、原因。

少し話が変わりますが、わたしは小学生の頃、父親の仕事の都合で欧米に住んでいました。当時、母親は慣れない環境でストレスがたまっており、わたしと弟に頻繁に暴力を振るっていました。

そんなある日、学校でクラスメイトがわたしに対して嫌なことをしました。今思えばささいな、いたずらのようなものです。でもわたしはそのクラスメイトを思いっきりビンタしました。欧米では学校で起こる暴力に対して日本以上に注意をはらっていますので、わたしのビンタは大問題になりました。親が呼び出され、先生から「何故そんなことをしたのか」と聞かれました。「嫌なことをされたから」とわたしは答えました。

でも、わたしは本当は気付いていました。理由なんてなんだってよかったということに。そのときのわたしは、とにかく誰かを殴りたかったのです。むしろそのためにきっかけを待っていた、といってもいいかもしれません。クラスメイトが嫌なことをしてきた瞬間、「いまだ!」と思ったのです。

攻撃の手段をビンタにしたのは、しょっちゅう母親からビンタされていたからです。

わたしは、自分が受けてきた暴力によって溜め込まれてきた怒りや悲しみや傷ついた心を、他者を傷つけることによって解消しようとしたのです。

少し前に、少年が見知らぬ女性を刺すというショッキングな事件がありました。少年の動機は、「自分が弱い人間なので、誰かを刺せば上になれると思った」というものでした。それで、肉体的にも弱そうな(反撃してこなさそうな)女性を狙ったのでしょう。事件そのものには怒りしかありませんが、と同時に、少年を「弱い人間」だと思い込ませたのは誰だったのか、ということがわたしには気になりました。

ひとは、自分が受けたひどい扱いや、そのときに生じた傷を、決して良いとはいえない行為を正当化するための「免罪符」にしてしまうことがあります。

ざっくりいうと、「自分はヒドイ目にあったのだから、他人をヒドイ目にあわせる権利がある」と(意図的にではなく、無意識に)思い込んでしまうということです。

わたしは、この世のすべての暴力の根っこにあるのは、この現象なのではないかと思っています。暴力がまったくの無(む)から生まれるとは考えにくく、やはり人生のどこかの段階で種がまかれ、それがあまりに大きく育ってしまうと、本人の中だけにとどまらず、ほかの人間に牙をむくようになるのではないでしょうか。

去年、有名なブロガーの女性が会社員時代に男性社員から受けたセクハラを実名で告白し、大きな話題になりました。そのなかで語られたセクハラ加害者の暴力的な言葉は非常に威圧的で傲慢で、ほんとうにひどいものでしたが、考えてみると、もしかしたら、加害者の男性自身がそのような威圧的で傲慢な発言などの「暴力」を他者から受けたことがあったのかもしれない、と思います。

だからといって彼の行いがヤベェことには変わりはないのですが、ただ、ヤベェ奴のヤベェ行為にだけ焦点をあてるのではなく、その原因についても、実はひとりひとりが考えていったほうがいいと思うんですよね。

わたしが遭遇したヤベェ奴は、分類するならば「セクハラ系」に入ると思うんですけど、セクハラだけじゃなくて、パワハラモラハラ、マタハラなど無限に存在するハラスメント案件とか、あとはブラック企業とか、過労死とか、最近どっかの村で実際に起きた村八分案件とか、そういうのも実は全部同じところから生まれてきているんじゃないかと思っていて、つまり、わたしたちの住む社会において日常に潜む暴力がいかに多くて、わたしたちがいかにそのことに対して無自覚か、ということなんだと思うんですよ。

いっこの「暴力」をドッジボールの球のように延々と投げ合ってぶつけあって(ときに反射的に、ときに意図的に)、その球がどんどん大きくなっていって、ときに死者が出る。そんな感じなんじゃないかと思うんですよね、今の日本って。モンスター!モンスター!モンスター多き現代ニッポン!

そんな、おもてなしの国ニッポンで多発する満員電車の痴漢って、独特な犯罪だとわたしは思っているんだけど、これは満員電車でからだが密着するから、とか、性的な衝動をおさえられない人間が多いから、とかじゃなくて、ただ単に痴漢するひとってめちゃくちゃ、暴力による傷を抱えてるんじゃないかと思うんですよね。それを大人は「ストレス」と言い換えて、さも「あって当然」ぐらいのテンションで扱うんですけど。満員電車での通勤、もストレスのひとつだろうけど、そこだけじゃないと思うんですよ。性的な暴力の「種」は、同じく性的な暴力だとは限らなくて、いちど個人に宿った「暴力」は、すがたかたちを変えてその宿主が一番出しやすいかたちで表出するものだと思うのです。密着した電車のなかで肉体的に弱そうな女性が相手となれば、路上で見知らぬ男性になぐりかかるよりも簡単で、だから、痴漢をするひとは、その行為を選ぶのではないでしょうか。

 

だからもう、単純に、みんなガマンしすぎだと思うんですよね。日常の暴力の傷を「ストレス」と言い換えて、「こんなの、みんなだってガマンしてるんだから、俺もガマンしなきゃ」で溜め込むからヤベェ奴が生まれるんじゃないでしょうか。

でも、嫌なことは「嫌だ」って言っていいですよね。痛かったら「痛い」って言っていいし、傷ついたら「傷ついた」って言って、ときには助けを求めてもいいし逃げたっていいと思うんです。そういうことを「恥ずかしい」と思い込まされて、投げつけられた暴力を誰かに投げ返すことでしか自分を守れないヤベェ奴に、なるべくなら多くのひとは、ならないでほしいんですよ。

と、そんなことを、女性器の隠語をきっかけに考えてしまった年末でした。

おわり