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映画「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」感想と解説(ネタバレあり)~ムーニーちゃんの口の悪さ半端ないって~

評判を聞いて以来ずっと見たいと思っていた「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」、近所での上映が終了する直前に駆け込みで見てきました。

 

 

 

シンプルに面白かったけど、シンプルに哀しい映画でした。

とまあ、そんなシンプルな感想はさておき、個人的に「これは声を大にして言いたい」と思うポイントがいくつかあったので、それらを書いていきたいと思います。

ムーニーちゃんの(素晴らしいほどの)口の悪さ

記事のタイトルにもある通り、6歳の娘・ムーニーちゃんの口の悪さ、半端ないです。これは英語圏以外の観客にどれぐらい伝わっているのかわからないのですが、もう、めちゃくちゃ悪いです。ファックなどのワードだけではなく、イントネーションというか荒々しい感じが、とにかく凄まじいです。

日本に置き換えるなら、いわゆるヤンキーの「あぁん!?てめぇもっかい言ってみろよぉ、あぁん!?(※バナナマン設楽さんの声で)」みたいな口調を6歳の子役がしっかりと再現している感じというか。

日本語字幕では「マジっすか」みたいな感じに訳されていましたね。こういうこと言うとアレですけど、ほんと、頭が悪いひとの喋り方、ワードチョイスなんですよ。その再現度の高さが見事としか言いようがない。

一番衝撃的だったのは、インド系のモーテル支配人(女性)に向かって「ガタガタ言うなよ、おばちゃん」みたいに叫ぶところ(細かい言い回しはうろ覚えですが)。たしか「Lady」というワードを使っていたと思います。日本でレディーというと敬っている感じがしますが、ここでは失礼なニュアンスで使っています。6歳児が!そりゃあモーテル支配人も「そんなだから、その状況から抜け出せないのよ」と言いたくもなりますよ。

ムーニーちゃんを演じている子役の演技がすごい、というのは前評判で聞いてはいましたが、この喋り方を指導した監督も、やりきった子役も、とにかくすごいと思いました。

で、なんでこのムーニーちゃんがそんな喋り方なのかというと、お母さんの口調を真似してるんですよね。お母さんも、やっぱりすごく頭の悪い喋り方をしているんです。

子供は親の背中を見て育つ、といいますが、まさにその通りで、親の言葉遣いはそのまま子供に受け継がれます。これはアメリカだけじゃなく、日本も同じですね。

 

モーテルに住んでいる白人はヘイリーとムーニー親子だけかもしれない

ちなみにこの映画、まったく予備知識なしで見ると「なんでこの親子はモーテルに暮らしているの?」ってなるかもしれませんね。

わたしもアメリカに住んではいましたが、正直「プロジェクト」と呼ばれる低所得者向けの団地の存在も、また、この映画に出てくるようなモーテル暮らしのひとたちのことも、知りませんでした。

フロリダのディズニーワールドにも行ったのですが、そこから少し離れたところにこのような景色があることは全く知らなかったですね。

つまり、それだけ分断されている、ってことなんじゃないかと思いました。【豊かな者】と、そうではない【貧しい者】との間に広がる溝はとても大きく、両者が交わることは殆どないのだと思います。

唯一交わる瞬間があるとすれば、それは【豊かな者】が【貧しい者】の側まで降りてきた時であり、その動機は純粋な場合もあれば不純な場合もあるのでしょう。ヘイリーと関係を持った挙句ディズニーワールドの入場バンドを盗まれた男性の動機は不純なものでした。一方で、食べ物を配布しにやってくる慈善団体や、モーテルの支配人ボビー(ウィレム・デフォー)の動機は純粋なものに見えます。ただ、どちらにせよ、「降りてきてやってるんだ」という感覚は少なからずあって、だからヘイリーもムーニーちゃんも決してどちらにも媚びないんですよね。ボビーなんてヘイリーが泊まれるよう別のモーテルの宿泊費を出してあげたのに(結局インド系支配人に断られて泊まれなかったけど)、ヘイリー、御礼も言わなかったからね。「あなたは結局、そっち側の人間なんだから」、って。「結局は他人事じゃん」って。

ただ、そんな他者からの善意に対して常に敵意むき出しのヘイリーが唯一神妙な表情をしたのが、ラスト近くでランドリー室?の女性従業員からハグをされたシーンです。この映画では登場人物の詳しい紹介がほとんどなく、セリフや情景から観客が想像するしかないのですが、ランドリー室の女性従業員はヒスパニック系に見えました。また、腕に入れ墨がたくさん入っているところから、彼女も訳アリっぽいんですよね。つまり彼女は「そっち側」ではなく「こっち側」の人間で、だから、彼女の「大丈夫よ」という言葉とハグはヘイリーの心に沁みたのではないでしょうか。

このヒスパニック系女性従業員だけでなく、モーテルに住んでいるひとたちはヘイリー親子をのぞいて皆、非・白人だと思います。隣のモーテルに住むジャンシーは白人ぽいですけど、母親は違います(その理由も詳しくは語られません)。

また、ヘイリーが宿泊を断られたモーテルの支配人女性はインド系です。そしてヘイリーが(偽物の)香水を買う卸屋の店員はアジア系です。

そして、ヘイリーが香水を売りつけたり、ムーニーがアイスを買うために小銭をせびる観光客は、白人です。

このあたりの配役は意図的なものだと思います。アメリカには貧しい白人もいますが、非・白人と比べると、圧倒的に少ないと思います。じゃあ、ヘイリーには何があったのか?ってことなんだと思うんですよね。本来は、【貧しい者】になる確率が低いはずなのに。

これは個人的な推測ですが、メインの親子を黒人やヒスパニック系にしてしまうと、アメリカのマジョリティである白人層は「他人事」として見てしまう可能性があるので、監督はあえて親子を白人にしたのかなと思いました。そうすることによって、この物語を「自分事」として捉えてほしい、と思ったのではないでしょうか。

ラストシーンの涙と、その意味

ラスト、ヘイリーと引き離されることを理解したムーニーは、友達であるジャンシーのところへ走っていきます。そして、「どうしたの?」と聞くジャンシーに、「わたし、言えない。でも、バイバイ」と涙を流します。

ここはもちろん哀しいシーンであり、子どもの涙に大人は弱いので(笑)映画館ではすすり泣きのような声も聞こえました。かくいう私も涙ぐんでしまったのですが、このシーンがとても哀しくて心に残るのは、子役の演技が上手だからとか、シチュエーションが可哀想だからとか、それでけではないと思うんですよね。

映画が始まって約2時間ほど見せられてきた、大人顔負けの立ち振る舞いをして、口が達者で、行動力があって、どんなことにも負けないし挫けない、そんな「強い」ムーニーが、実は全然強くなんかなくて、本当は不安と孤独を抱えていて、守られるべき存在なんだということが突然突きつけられるからなんだと思います。

ムーニーのイタズラのすごさやふてぶてしい態度に「すげぇ子供だなあ~!」って笑いながら見てるから、途中で忘れちゃうんですよね。彼女がまだ6歳で、親子ともども社会の援助が必要な存在であるということに。

そしておそらく、ムーニーが母親から受け継いだのは口の悪さだけではなく、周りに弱さをみせない、という生き方も受け継いでいるのでしょう。ヘイリーもムーニーも強がっていただけで、本当はずっと誰かに助けてもらいたかったし、ずっと泣きたかったんだと思いました。

また、ジャンシーに言った「わたし、(何があったのか)言えない」というムーニーの言葉から、あんなに明るく楽しく遊びまわっていたムーニーが、実は自分の立場を冷静に理解していた、ということがわかるんですよね。お母さんが何をしているのかも、自分たちの生き方が世間的には「恥ずかしい」(そういえば「Disgrace(不名誉・恥辱)」という言葉をヘイリーが他者から投げかけられ、ムーニーがジョークにして返すというシーンがありました)のだということも、ほんとうは全部わかっていた。だから、「言えない」とムーニーは言ったのだと思いますし、そう考えると、もう、ただただ哀しい。

で、このシーンのあと、唐突にジャンシーがムーニーの手を取り、走り出します。そしてディズニーワールドのお城の前に辿り着いたところで映画は終わります。

この終わり方については見たひとも様々な解釈をしているようですが、監督自身による解説が、このインタビュー記事にありました。

↓ 

www.hollywoodreporter.com

 "It's left up to interpretation but it's not supposed to be literal, it's supposed to be a moment in which we're putting the audience in the headspace of a child," he clarifies. "We've been watching Moonee use her imagination and wonderment throughout the entire film to make the best of the situation she's in — she can't go to the Animal Kingdom, so she goes to the "safari" behind the motel and looks at cows, she goes to the abandoned condos because she can't go to the Haunted Mansion. And in the end, with this inevitable drama, this is me saying to the audience, 'If you want a happy ending, you're gonna have to go to that headspace of a kid because, here, that's the only way to achieve it."

 

 長いので、大体どんなことを言っているのかというと:

「あれは観客に【子どものような感覚】を持ってもらった瞬間なんだ。それまでに観客はムーニーが想像力を使って自分の状況を精一杯楽しむ姿を見てきたよね。(ディズニーワールドの)アニマル・キングダムには行けないから、彼女はモーテルの裏を「サファリ」と呼んで牛を眺める。ホーンテッド・マンションには行けないから、廃墟になった家に忍び込む。そして最後に、あのような避けられない事態が起こって…「もしもハッピーエンドが欲しいなら、子どものような感覚にならないといけない。だって、ここでは、そうすることでしか、ハッピーエンドは手に入らない」、そういうメッセージを僕はこめたんだ」

 つまり、ラストのあの光景はムーニーの想像だった、ということのようです。そうだよね、「どうやって入ったの?」とか、「もしや、入り口で従業員の目を盗んで忍び込んだのかな…」などと真面目に考えてしまった自分がアホでした。ちなみにジャンシーが走り出すシーンからはiphoneで撮影したようで、その理由はディズニーワールドに無許可でラストシーンを撮影したから…とのこと。いや、そこはちゃんと許可とれよ!どうりで急に画面がガクガクし始めたなと思ったわ!

と、まあ、終わり方にはちょっと混乱してしまったものの、ムーニーが声をあげて泣くシーンがしばらく頭から離れず、改めてすごくいい映画だし、もっと多くのひとが見てくれたらいいのになあと思いました。

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 最後に

この映画は、貧困という深刻なテーマを扱いつつ、あくまで楽しい映画に仕上がっています。それは監督のインタビューにもあったとおり、「子どもの感覚を持っていれば、どんな状況もハッピーに変えられる」ということが描かれているからです。

わたしはモーテル暮らしのひとたちと接した経験はありませんが、アメリカに住んでいたころ、トレーラー(キャンピングカーのような車両)暮らしのひとたちは見たことがあります。

今思えば、わたしはそれを見て「いいなあ」と羨ましく思ったのでした。よくよく考えればトレーラー暮らしは厳しいものなのでしょうが、当時わたしは子どもだったので、トレーラーに住むことが、なんだか自由で楽しそうに見えたのです。トレーラーに暮らし、いろんな場所に行って、好きなように過ごす。そんな想像をしてみたりしました。

この映画を見終わった後、そのことをふと思い出しました。ムーニーをはじめ、あのモーテルに住む子どもたちにとって、世界が楽しくキラキラしたものに見えるのは、子どものときに誰もが持っている自由な想像力によるものなのかもしれません。

おわり

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てか、ヘイリー役のひとも、友人役のひとも、タトゥー自前だったんですね…メイクだと思ってました…

 

映画はもっぱらAmazon Primeで見ています。

 

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